織のインテリア
2009年1 月
色絵石畳文様
高さ:1m37cm 布巾: 91cm |
【色絵石畳文様】
この作品は、三笠宮崇仁親王の第三皇子、高円宮家に御献上奉りまし
た帯と同柄のものを几帳として仕立て上げたものです。
宮家御愛品としてつつがなきよう心を込めて創作致しました織文様
は、江戸時代より加賀の国で創作された九谷焼の色絵陶器より意匠し、
九谷焼の豪快で重厚な作風と独自の九谷五彩をそのまま織にうつしと
り比類なき美の境地を表現致しました。
黄、紺、緑、紫、赤の五彩は、加賀友禅の彩色にも相通じ、奥深く秘
めた華やぎを感じさせるものです。
格の高い有職文様である色絵石畳の文様は整然とした秩序を表わし、
そのなかに精密な輪つなぎ丈を織り込んで無限につながる縁起にあやかり、
さらに、中国の皇帝を象徴する高貴な黄色を効果的に用いて四方を
鳳凰文に守らせる…真に吉祥富貴あふれる趣が薫り立つ
美術工芸品と呼ぶにふさわしい几帳となりました。
七福招来図
高さ 1m54cm 布巾 1m17cm |
「七福招来図」
めでたい初夢をみるために、宝船の絵を枕の下に敷いて寝る習慣は室町時
代が発祥とされており、当時の将軍が始めたものが徐々に一般にも広まって
行きました。
宝船というのは、金銀財宝を積んだ宝尽くしの船に賑やかに七福神や太公望が
乗っているさまを描いた絵で、京都五条天神に奉納されているものが
最も古いとされています。
その図柄は、帆柱も檜櫂もない舟の中に稲を置いただけの簡単なもので、
頭上には梵字とおぼしき文字が描かれている。
これがやや複雑になったのが相阿弥によって描かれた、舟の中に積んだ米俵の
図である。
一般に良く知られている七福神が乗っている図柄になったのは、江戸時代以降
ですが、描かれている七福神の構成はその時々で変化しておりました。
現在では七福神の構成は
「恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋」
とされておりますが、寿老人と福禄寿はともに南極老人星の化身とされることから、
この二者を同一のものとみなし、寿老人の代わりに吉祥天や猩猩(しょうじょう)などが
入れられたこともありました。
これは関西から始まったものと云われています。
当時、関西では宝船の絵は節分に諸社寺で頒布したが江戸では正月早々に
「お宝お宝」といって宝船売りが売り歩いていたそうです。
この几帳はこれらのめでたい図柄を基に笹岡秀水が創作し描き上げた作品です。
風神雷神
高さ1m54cm 布巾1m17cm |
日本美術史上、桃山末期から江戸時代にかけて燦然たる輝きをはなつ
琳派芸術。
その創始者、俵屋宗達の筆によると伝えられる「風神雷神図」は、大胆な
構成と絢爛たる装飾性をもって、宗達の最高傑作であるといわれています。
金箔が一面に貼られる屏風の中に、右側から黒雲に乗り風を操りながら
舞い降りる風神の姿と、左側から力強く雷太鼓を打ち鳴らす雷神の姿が描か
れており、「風」を神格化したものが風神、「雷」を神格化したものが雷神として、
黄金に輝く空間に墨と濃彩で生き生きと描かれ、自然への畏敬と除災を祈る
神として表されています。
風神・雷神はもともと千手観音の眷属で、他の二十八部衆とともに
尊崇されていました。
緊張感のある構図と、広々とした金地の空間、嬉々として舞い降りるかのような
神の表情は、観る者にい強烈な印象を与えます。
この几帳は、神々しき名画を京都西陣伝統の技と心で創作致しました。
招福図(横)
額装:招福図(金茶色) | |
額装:招福図(銀色) | |
招福図(横) 縦48.0cm 横94.5cm |
「招福図」
古来より人々は日々のくらしの中で開運を願いおめでたい兆しを様々な象徴に見いだし、吉祥ものとして大切にしてきました。
この図柄は、
・一富士
・二鷹
・三茄子
・四神相応
・五鯉躍
・六瓢箪
・七福神
・八方睨みの龍
・九頭馬
・十徳地蔵
を織柄に配し、
「商売繁盛」「金運招来」」良縁成就」「出世栄達」「息災長寿祈願」を一条にたくして織り上げました。
誠に吉祥由来に満ち満ちた細密な図文様からたちのぼる富貴が皆様にあらゆる吉運を招きますように
京都西陣伝統の技をあげて創作致しここに心を込めてお届け致します。
織元謹製